初代 岡嶋忠助 (おかじまちゅうすけ) (1835〜1880)
わたしは、生糸きいと(絹織物きぬおりもののもとの材料ざいりょう)を、外国がいこくを相手あいてに売うり、とてもたくさんお金かねを手てに入いれました。土地とちもたくさんもっていました。
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2代 岡嶋忠助 (おかじまちゅうすけ) (1853〜1905)
わたしは、忠助ちゅうすけのあとをついで、2代だい岡嶋忠助おかじまちゅうすけになりました。山前駅やままええきをつくったり、足利銀行あしかがぎんこうや織物おりものの会社かいしゃにお金かねを出だしたりして、足利あしかがでいろいろなものがつくられるようになるようにがんばりました。