須永嵐斎は、1779年(安永8年ねん)、今の旧足利市街に生まれました。大人になってからは、織物の仕事をしていました。その仕事をしながら、俳句(5・7・5の17音の)も書いていました。小佐野真砂岐や、金令舎道彦、夏目成美という人達に俳句を教えてもらいました。嵐斎は、1833年(天保4年)、54歳になった時、家の織物の仕事を子供に任せ、日本全国を旅しました。全国を旅したので、たくさんの俳句を作る人と知り合うことができました。1833年(天保4年)に「関西、九州一巡」、1838年(天保9年)に「奥羽信越記」、1842年(天保13年)に「武相道記」の旅日記を書き残しています。
嵐斎は、1852年(嘉永5年)に亡くなりました。その後、嵐斎をしたって俳句の会が開かれました。各地から集まったその数は百数十人にもなったそうです。その俳句の会の時にできたのが「雪あかり」という本でした。この本の中には、嵐斎の俳句が114句、各地の俳人二百十余の句がよせられています。
嵐斎が亡くなった後、子供の芳徳は父嵐斎の歌碑を、ばん阿寺の境内に建てました。
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