田代(田部井)義徳 (たしろぎとく) (1864〜1912)
わたしは、15歳さいで八幡村やわたむらの小学校しょうがっこうの教師きょうしとなりましたが、もっと勉強べんきょうをしたいという気持きもちが強つよく、東京とうきょうに行いって英語えいごやドイツ語ごを学まなび、やがて大学だいがくに進すすみ、医者いしゃになりました。ドイツで、整形せいけい外科げかを研究けんきゅうし、日本にほんの整形せいけい外科げかをはじめた人ひとと言いわれるようになりました。東京とうきょうでいそがしい仕事しごとをしながらも、わたしは、いつもふるさと足利あしかがを思おもっていました。
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