田部井安勝
(たべいやすかつ)
( ? 〜1829)

和算わさん習得しゅうとくする

 松崎利雄まつざきとしおいた「栃木県とちぎけん算額集さんがくしゅう」というほんによると、1801ねん享和きょうわ元年がんねん)に安蘇郡あそぐん田沼町たぬままち一瓶塚稲荷神社いなりじんじゃに、足利郡あしかがぐん名草村なぐさむらひと田部井たべい沢七    安勝やすかつ算額さんがくをあげています。田部井たべい安勝やすかつ和算わさん研究けんきゅうしていたことがわかります。
 田部井たべい安勝やすかつがどんなひとだったのかくわしいことはわかりませんが、安勝やすかつのおはか名草なぐさ中町なかちょう大宝寺にあり、おはかには、「算誉円術居士」と正面しょうめんにあり、かって右側面みぎそくめんに「田部井たべい沢七文政十二巳丑年正月朔日」ときざまれています。文政ぶんせい12ねんというのは1829ねんで、いまから190ねんくらいまえです。名草なぐさには田部井たべいというせいおおいですが、地元じもとひとはなしでは沢七安勝やすかつ)のいえ名草なぐさにおける田部井家たべいけのいちばんのもとになるいえであったということです。