松崎利雄が書いた「栃木県算額集」という本によると、1801年(享和元年)に安蘇郡田沼町の一瓶塚稲荷神社に、足利郡名草村の人、田部井沢七安勝が算額をあげています。田部井安勝は和算を研究していたことがわかります。
田部井安勝がどんな人だったのかくわしいことはわかりませんが、安勝のお墓は名草中町の大宝寺にあり、お墓には、「算誉円術居士」と正面にあり、向かって右側面に「田部井沢七、文政十二巳丑年正月朔日」と刻まれています。文政12年というのは1829年で、今から190年くらい前です。名草には田部井という姓が多いですが、地元の人の話では沢七(安勝)の家は名草における田部井家のいちばんのもとになる家であったということです。
|