本島雄尾(八郎兵衛)は、1778年(安永7年)に野田村(今の野田町)の蜂須賀家に生まれました。そして、足利坂町(今の通7丁目)の本島家の養子になりました。
本島家は、本陣(大名などが泊まった宿のこと)とよばれ、旅行中の殿様を泊める家柄であったようです。祖父が俳人(俳句を作る人)であった関係から、雄尾も子供の頃から俳句に親しんでいました。そして、千住関谷(東京都足立区)にある秋香庵巣兆の学校に入り俳句を学びました。秋香庵巣兆の学校に入っても、その才能はすばらしく、ほかの俳人からも慕われていたようでした。
1845年(嘉永2年)に72歳で雄尾が亡くなった後、その子供の二郎により、西宮町の三宝院境内に墓碑(お墓)が建てられています。
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