岡田東塢は、1791年(寛政3年)足利郡五十部村の代官(江戸時代の村の仕事をする人)の家に生まれました。
漢詩人として、足利だけでなくほかのところでも有名でした。子どものころは勉強が好きで、大きくなってからは、江戸(今の東京)の朝川善庵のところで学びました。中国の船が日本に流れ着いたときも、その中国人との話し合いの時の通訳(言葉のちがう人のあいだにはいって、言葉をいいかえて通じさせること)をつとめています。師匠である善庵にも信頼され、善庵の仕事の後をついで完成させました。その後、九州や京都を五年かけてまわり、勉強しました。
家に帰った東塢は、子どもたちへの教育に力をそそぎました。漢詩を読むばかりでなく、絵もかき、楽器(月琴)もひきました。家には、本をしまっておく場所をつくり、本や書画を納めておきました。足利を訪れる文人(詩や小説や絵などをかく人)は、東塢の家を訪れ、その本や書画を見ていきました。
東塢は、1833年(天保4年)、44歳の若さで亡くなりました。
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