伏島真一郎は、1850年(嘉永3年)に、邑楽郡秋妻村(今の邑楽町秋妻)の岩崎家に生まれました。1871年(明治4年)に伏島真七郎の養子になりました。
1869年(明治2年)から、県の役人になりました。1873年(明治6年)からは、学校をつくる仕事に力をつくしました。
1882年(明治15年)に群馬県の県会議員にえらばれ、1903年(明治36年)には、矢場川村の村長になりました。
真一郎は、一生のほとんどを、役人や議員などをつとめて、人々のために努力をしました。年をとってからは、「桃園」という名前で日本画にしたしみ、しろうととは思えない、よい作品を作りましたが、1916年(大正5年)になくなりました。66歳でした。お墓は明林寺にあります。里矢場町の伏島医院が、真一郎の家です。
|