渡辺休察
(わたなべきゅうさつ)
(1801〜1866)

医師(外科)として活躍

 渡辺休察わたなべきゅうさつは、1801ねん享和元年きょうわがんねん)に、足利新田上町あしかがにったかみちょういまとおり4〜6丁目ちょうめあたり)の今尾いまおといういえまれました。
 20さいのころ江戸えどいま東京とうきょう)で漢学かんがく漢文かんぶん漢籍かんせき学問がくもん)と医学いがく熱心ねっしんまなびました。やがて足利あしかが医師いしとして出発しゅっぱつしました。休察きゅうさつ外科げかわるいところをってなおす分野ぶんや)を得意とくいとし、技術ぎじゅつたかかったそうです。小俣おまた木村きむら半兵衛はんべえ(2代目だいめ)がいのちをねらわれておおけがをしたときも、その手術しゅじゅつをしました。医師いしとしての仕事しごとのほかに、足利藩士あしかがはんし漢学かんがくおしえていました。足利藩主あしかがはんしゅにもたいへん信用しんようされていました。
 休察きゅうさつは、1866ねん慶応けいおうねん)66さいでなくなりました。おはかは、西宮町にしのみやちょう長林寺ちょうりんじにあります。