山藤清風
(さんどうきよかぜ)
(1802〜1835)

京都きょうと西陣織研究にしじんおりけんきゅう
苦心くしんすえ金襴織法きんらんおりほうあみ出す

   朝夕あさゆうになるればなれてつくひとの耳にはさわらぬかねかな
 江戸時代えどじだいにあって、足利地方あしかがちほうぶんいたひと名前なまえてくるのは、やはり文化ぶんか文政ぶんせい(1804ねん−1829ねん)のころですが、山藤清風さんどうきよかぜもそのひとりです。清風きよかぜは1802ねん享和きょうわねん小俣村根岸おまたむらねぎしさとまれました。本名ほんみょう政八まさはち外山庵とやまあんのりました。この山藤家さんどうけ祖先そせん(そのいえ一番最初いちばんさいしょひと)は山藤権六清光さんどうごんろくきよみつといい、藤原秀郷ふじわらのひでさと平将門たいらのまさかどをたおそうと下野しもつけいま栃木県とちぎけん)にたとき、秀郷ひでさとしたがっていっしょに行動こうどうした武将ぶしょう天慶てんぎょうらん将門まさかど純友すみともなどのらん)のあと押領使おうりょうしになって小俣おまたさとむことになったひとです。それから、代々だいだい鶏足寺けいそくじまもってきましたが、明和めいわ(1764ねん−1771ねん)のころから織物業おりものぎょうをするようになっていました。そして、桐生きりゅう場所ばしょちかいこともあり、山藤家さんどうけ桐生きりゅうひとおお結婚けっこんしていたところから、あたりまえのように桐生織物きりゅうおりもの関係かんけいするようになりました。
 さて清風きよかぜは、ちいさいころからきが得意とくいで、またほかのひとしたしくなるのが上手じょうずだったといわれています。成長せいちょうして本家ほんけ一族いちぞくなかのもとのいえ)の機業きぎょう織物おりものをつくる仕事しごと)をしましたが、たまたま文政ぶんせい(1804ねん−1829ねん)のはじめのころ、広沢村ひろさわむら桐生きりゅう)の彦部ひこべ五兵衛ごへえといっしょに京都きょうとき、西陣織にしじんおり京都市きょうとし西陣にしじんでつくられる高級こうきゅう織物おりもの)の研究けんきゅうをすることになりました。そして苦労くろうして、金襴織きんらんおり織法しょくほうきんいとりこまれた絹織物きぬおりものかた)をあみしました。やがてこの織法しょくほう桐生新町きりゅうしんまち吉田安兵衛よしだやすべえつたえられ、倭金襴やまときんらん吉野金襴よしのきんらんとなってり出されることになりました。足利市あしかがし指定してい文化財ぶんかざいである鶏足寺けいそくじにある「山藤さんどうにしき」は清風きよかぜがつくったものです。
 ここからは、清風きよかぜ歌業かぎょう和歌わかを作つく仕事しごと)についてくことにします。清風きよかぜ橘守部たちばなのもりべ国学者こくがくしゃ浅草あさくさむ)の門葉もんよう生徒せいと)となったのは青年期せいねんきのころとおもわれます。守部もりべ桐生きりゅう買継商かいつぎしょう(いろいろなものをってほかのひと仕事しごと吉田秋主特別とくべつ関係かんけいにあったところから、桐生きりゅうには20人近にんちかくの門人もんじん生徒せいと)をっていましたが、清風きよかぜもこれらのひとたちとつきあっていたとおもわれます。清風きよかぜうたつくるのに熱心ねっしんで、しかもそのうたはすばらしいものでした。じつは1838ねん天保てんぽうねん)のあき三都書林さんとしょりんからされた「下蔭集かいんしゅう」(橘守部たちばなのもりべ門人歌集もんじんかしゅう)をると、このなかひゃくあまりのうたがのっています。このことからもその実力じつりょくがわかるとおもいます。
 清風きよかぜ根岸ねぎしさとにときどき歌合うたあわせのせきうたをよみあうかい)をおこない、また自分じぶんもそうしたせきって、両毛地方りょうもうちほううたをよみあう人々ひとびとあいだでそのを高たかめていきました。守部もりべ生徒せいとたちのなかでも四天王してんのうのひとり(4ひとのすぐれたひと一人ひとり)といわれるまでになりました。しかししいことに1835ねん天保てんぽうねん)10がつ20、34さいくなりました。
 このとき、守部もりべはそのかなしんで、「此人これひとさうなきさとりありき、ところのならはしとて、なりのかたへに、はたものおらしめけるが、そのあやばたに、たくみなること、およ上野下野かみつけしもつけにならぶべき手人なかりき、もとよりこころさしたかくして、古言学こげんがくをいたくとうとび、うたもかならずひとふしあらせて云々うんぬんかんがかたのすばらしいひとで、機織はたおりの仕事しごとをしていたが、その織物おりもののすばらしさで、上野かみつけ下野しもつけなかではならぶひとがいないくらいだ。ふるむかし言葉ことば学問がくもん熱心ねっしんまなび、うたもすばらしいものだった)」といていますが、守部もりべがどれほど清風きよかぜ期待きたいをかけていたかがわかります。

 をいとうわれにそむきて山鳥やまどり
 けさもふもとのさとにゆくなり  清風きよかぜ