朝海浩一郎
(あさかいこういちろう)
(1906〜1995)

信頼しんらい関係かんけい大切たいせつにし
くに
くにとの外交がいこうちからをつくす

 (あさ)(かい)(こう)一郎(いちろう)は、1906(ねん)明治(めいじ)39(ねん)現在(げんざい)足利市(あしかがし)田島町(たじまちょう)()まれました。(あさ)海家(かいけ)(じゅう)数代(すうだい)つづ()(とど)(かぎ)(ひろ)(たはた)をもっていました。(こう)一郎(いちろう)は、幼少期(ようしょうき)まで(たじま)()ごした後一家(いっか)東京(とうきょう)(うつ)りました。そして開成(かいせい)中学(ちゅうがく)から一橋(ひとつばし)大学(だいがく)進学後(しんがくご)在学中(ざいがくちゅう)難関(なんかん)外交官(がいこうかん)試験(しけん)合格(ごうかく)し、卒業(そつぎょう)同時(どうじ)外務省(がいむしょう)(はい)りました。

(こう)一郎(いちろう)最初(さいしょ)英国(えいこく)(わた)り、エディンバラ大学(だいがく)英語(えいご)行儀(ぎょうぎ)生活(せいかつ)習慣(しゅうかん)などを(まな)び、討論(とうろん)(かい)講演会(こうえんかい)参加(さんか)して言葉(ことば)表現力(ひょうげんりょく)重要(じゅうよう)なことを反省(はんせい)し、日本語(にほんご)大切(たいせつ)さを()りました。

そのまま、英国(えいこく)中華(ちゅうか)民国(みんこく)大使館(たいしかん)勤務(きんむ)となり、帰国後(きこくご)外務省(がいむしょう)(もど)終戦(しゅうせん)(むか)えました

終戦後(しゅうせんご)(こう)一郎(いちろう)最大(さいだい)業績(ぎょうせき)は、GHQ(連合(れんごう)(こく)総司令部(そうしれいぶ)日本(にほん)政府(せいふ)との折衝(せっしょう)担当(たんとう)終戦(しゅうせん)連絡(れんらく)中央(ちゅうおう)事務(じむ)(きょく))し、米国(べいこく)賠償(ばいしょう)問題(もんだい)担当(たんとう)ポーレー大使(たいし)単独(たんどく)接触(せっしょく)したことです。米国(べいこく)賠償(ばいしょう)方針(ほうしん)(てつ)生産量(せいさんりょう)年間(ねんかん)120(まん)トンに(おさ)え、鉄鋼(てっこう)産業(さんぎょう)紡績業(ぼうせきぎょう)存続(そんぞく)をある程度(ていど)認めることなど()()め、帰京(ききょう)して、貴重(きちょう)情報(じょうほう)閣議(かくぎ)(せき)報告(ほうこく)しましたこれがきっかけとなり、占領(せんりょう)初期(しょき)日本(にほん)済的(けいざいてき)要望(ようぼう)がGHQ(がわ)十分(じゅうぶん)(つた)える(みち)(ひら)けていきました。

また、対日(たいにち)感情(かんじょう)(わる)かった昭和(しょうわ)28(ねん)英国(えいこく)女王(じょおう)戴冠式(たいかんしき)訪英(ほうえい)される日本(にほん)皇太子(こうたいし)殿下(でんか)英国(えいこく)公使(こうし)として米国(べいこく)から随行(ずいこう)し、無事(ぶじ)大任(たいにん)()たしました。

そして、昭和(しょうわ)32(ねん)特命(とくめい)全権(ぜんけん)米国(べいこく)大使(たいし)任命(にんめい)されました。渡米後(とべいご)(こう)一郎(いちろう)占領期(せんりょうき)日本(にほん)()きた米軍(べいぐん)犯罪(はんざい)解消(かいしょう)についてアイゼンハワー大統領(だいとうりょう)発言(はつげん)(もと)ダレス国務(こくむ)長官(ちょうかん)とも交渉(こうしょう)し、この問題(もんだい)日米間(にちべいかん)(あく)影響(えいきょう)なく終止(しゅうし)していきました。その()アイゼンハワー大統領(だいとうりょう)(きし)首相(しゅしょう)会談(かいだん)にこぎ()けることができました。また、その(とし)皇太子(こうたいし)殿下(でんか)夫妻(ふさい)訪米(ほうべい)随行(ずいこう)して、ご夫妻(ふさい)米国人(べいこくじん)好印象(こういんしょう)(あた)えることができました。

年間(ねんかん)米国(べいこく)任務(にんむ)()帰国(きこく)した(こう)一郎(いちろう)外務省(がいむしょう)退(しりぞ)き、各種(かくしゅ)国際(こくさい)会議(かいぎ)日本(にほん)代表(だいひょう)として日本(にほん)のために(ちから)()くしました。(こう)一郎(いちろう)功績(こうせき)(たか)(ひょう)()され、昭和(しょうわ)51(ねん)足利(あしかが)出身(しゅっしん)二人目(ふたりめ)(くん)一等(いっとう)瑞宝章(ずいほうしょう)受章(じゅしょう)しました。               (こう)一郎(いちろう)外交(がいこう)ポリシーは「(くに)(くに)との(こうしょう)には、今少(いますこ)節度(せつど)(たも)ち、これこそが相互(そうご)尊敬(そんけい)基礎(きそ)とする(なが)()()両国(りょうこく)友好(ゆうこう)関係(かんけい)()()するゆえんである。」と()ています。また、(ひと)(たい)する信念(しんねん)は「(ひと)(せっ)する(さい)自分(じぶん)本心(ほんしん)()て、誠心(せいしん)誠意(せいい)()くせば相手(あいて)()かってくれる。」と(かた)っています。(あさ)(かい)(こう)一郎(いちろう)(あゆ)んだ(みち)は、(くに)(くに)との外交(がいこう)も、(ひと)(ひと)との信頼(しんらい)関係(かんけい)によって()()っていることを現代(げんだい)()きるわたしたちに(おし)えています。