大野源七郎栄信
(おおのげんしちろうえいしん)
(1805〜1862)

 大前村おおまえむら大野源七郎栄信おおのげんしちろうえいしんは、和算わさん江戸時代えどじだい算数さんすう)にすぐれ、まわりの人たちから先生せんせいわれていました。先生せんせいおしかたは、算盤さんばん(そろばん)が中心ちゅうしんで、もっぱら「そろばんの栄信先生えいしんせんせい」といわれていたようです。栄信先生えいしんせんせいが、1862年(文久ぶんきゅう2年)に58さいでなくなると、弟子でしたちは、先生せんせいのために、大前町おおまえちょう迎田はかてました。先生せんせいたいする弟子でしたちのおもいやりのこころつたわってくるようです。
和算わさんとは・・・江戸時代えどじだい算数さんすうのこと。
 江戸時代えどじだいには、かず使つかってたのしんでいました。日本にほんにしかない算数さんすうで、おおくの人が、したしんでいました。算数さんすう問題もんだいこたえをがくにして、絵馬えまのように神社じんじゃおさめました。このがくを「算額さんがく」といます。
使つかわれかた

  • たのしむ
  • 田をつくり、水を土木工事どぼくこうじ
  • 天体てんたい観測かんそくしてこよみめる
  • あきな

 そのほかにどんな使つかわれかたをしていたか調しらべてみましょう。
 算盤さんばん(そろばん)の利用りようは、計算けいさんをスムースにするためのものでした。