足尾銅山と谷中村(渡良瀬川下流)の歴史

 渡良瀬川上流にある足尾銅山では、明治時代に産銅量(さんどうりょう)が多くなり、銅を取り出すのに必要な木炭を得るために、山に生えていたたくさんの木々を切りました。
 
 そのため、山は保水力をなくし、洪水が何度も発生するようになりました。また渡良瀬川を流れる流域の地域では、銅山から流れ出る銅が原因で
鉱毒被害(こうどくひがい)が広がりました。

 明治23年(1890)、明治29年(1896)の洪水では、谷中村などの下流域の農地に被害が広がりました。また、明治35年(1902)の洪水で谷中村は水没し、村全体が沼のような状態になりました。

 

 足利市から車で40分くらいのところに渡良瀬遊水地があります。
その敷地内に、「谷中村保全ゾーン」という場所があります。

 村役場跡や水塚、雷電神社跡などが今も残っています。一部分にまとまって生えている木々を見ると、そこに集落があったことがうかがえます。

 多くの人の協力があって、この渡良瀬遊水地がつくられたのです。
そして、その渡良瀬遊水地のおかげで、安心して私たちが暮らせるのです。

翌年、谷中村を遊水地にしようという考えが具体的になりました。その後、村を愛した人々の多くは周辺地域へ移り住みましたが、遠く北海道へ移り住んだ方もいたそうです。

 移住先では、様々な苦労された方々もいらっしゃったそうです。やがて、明治39年(1906)に、谷中村は廃村となりました。

 渡良瀬遊水地は、多くの人々の理解と協力のもとにつくられたのです。

谷中村役場跡

旧足尾精錬所

 


参考資料  「WATARASE」
国土交通省 関東地方整備局 利根川上流河川事務所発行